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おしゃれな農業と言われるまで

本気で「清貧暮らし」を目指すなら農業が最適です!

当ページは、清貧暮らし、清貧生活を「人間本来の美しい生き方」であると考えて、それを本気で目指し実現したいと思っている方に、ぜひ読んでいただきたくて書いています。

実は、農園管理人であるわたくし(岡本)も、人間として暮らす必要最低限の食料を自給して、質素な小さな平屋住宅に住み、日の出とともに起床して、お天道様が頭上にあるときだけ畑に出て、土壌と戯れ、鳥や昆虫との対話をしながら自然の中に没入して日中を過ごし、日没になれば家に帰り、自らが耕作して得た野菜と、わずかな動物たんぱく質を得て、夜9時ごろまでには、心地よい疲労感とともに、床に入る暮らしがしてみたいとずっと前から考えていました。

「雨音」とともに暮らす幸せについて

特別に「仙人」のような暮らしを望んでいる訳ではなく、ときに当地で獲れた天然うなぎを食べ、ときに焼肉を食べに出かけ、また近くの海で獲れた魚介類などの動物性タンパク質を摂ることを「一切しないような暮らし」のことを述べている訳ではありません。

「晴耕雨読」については、わたくし自身「すでに実現していること」ではありますが(この原稿を書いているのは令和4年11月祝日の土砂降り雨の日です)、農作業のできない悪天候時には、自然と机に向かい書籍を開くか、ホームページの充実のためにキーボードをたたいているかのどちらかであり、浅草住まいのときには、どうしても行ってみたくなるような各所の催し物があったり、友人に誘われて一杯飲みに出かけたりと、家の中で書籍を開くような「じっとできる時間」がありませんでした。

当地(千葉県長生郡一宮町)に住んで、近くには飲み屋さんも歩いていけるようなお店もなく、すべての移動はクルマを利用することになり、出かける先といえば、スーパーマーケットや近くのホームセンターへの買い出しか、ガソリンスタンドでしかないものの、クルマでガソリンを消費すること自体に忌避感情を抱くようになり、最近の「雨の日」の日没までは、PCの前にいるか、書籍を開きつつ雨音を聴きながら、物静かな家の中にいることが日常のことになりました。

雨が降っているイメージ写真です

東京・浅草に住んでいたときに、「雨音」がこんなに心の中でさまざまな反響をもたらすものとは思いも寄りませんでした。

ここまで読んでいただき、それってもしかして「とってもおしゃれ」な生活だ、と思った方、あなたは抜群の時代的感性の持ち主といえます。

お天道様とともに暮らす幸せについて

わたくしは、日没時間帯に床に入ることはありませんが、朝起きる時間帯は遅くても午前5時30分ごろで、だいたいこのころ目を覚まします。この生活習慣は農業を始めてからのことではなく、もう数十年にわたる日常ですが、当地に完全に移住して初めての経験が「1階に就寝部屋がある」という点です。

これまで60数年間「2階以上」の建物の中で寝ていた訳ですが、「地に足が付く」とはよく言ったもので、1階で眠るという行為は、まさしく「身体全体が地に付いた人間本来の眠り」であることを実感しています。「大地に横たわっている」という感覚なのかも知れません。

起きて間もなくして、お天道様の兆しをときにまばゆいばかりの「吉兆」として受け止めながら、その刻一刻と明るさを増してゆく時間を、開け放ったカーテン越しに見る庭先の風景は、その日のお天気を占うには十分な要素を持ち、ときに揺れる樹々のこずえからは、風の方向と強さを知らせてくれていて、徐々に上空の雲の流れを追うだけの明るさがやってきます。

一日の始まりであり、わたくしの「毎朝の儀式」です。

この稿を書いている11月下旬は、午後4時30分も過ぎれば、一日の終わりを告げる薄暮が訪れて、農作業も早々に終えて帰り支度をすることになりますが、最近は夕焼けの美しさのほかに、明日のお天気を占う上空のグラデーションの機微を知るようにもなってきていて、そんな「人生初めての経験ばかり」の暮らしがここにあります。

夕焼けの田園風景のイメージです

お天道様とともに暮らすということは、日差しを一身にいただき農作業をしながら、お天道様を見上げ、見守られ、相互に笑みを交わしつつ汗をかきますが、農業こそがそんな「夢の暮らし」を実現できる人間本来の仕事だと思うとともに、足下には「大地」(土壌)があり、その間にいる自分が「その大きな愛に抱かれている」という心のゆりかごのような安定感と安心感があります。

清貧暮らしは人間の究極の「おしゃれ」ではないでしょうか

「清貧」を文字列のままに分解してみてしまうと、「貧しいけど清い暮らし」となってしまいますが、それは明らかな誤解釈であり、わたくしの中の解釈では、人を追い落してまでも「物質的な富を自ら追わず」(=貧)、人から見て「見苦しくない姿でいること」(=清)だと考えています。

日々、誰にも差別なく頭上にあるお天道様の恩恵をいただき暮らすことこそ、人間本来の生き方であり、自身の手でお天道様と植物光合成の力を借りながら耕作し、その成果物(野菜)をいただく行為は、自分が口にするというだけでなく、他人に分かち与えるという目的が加われば、それは明らかに「清」であることでしょう。

また、人間から見て無尽蔵にある大地(土壌)と微生物の力を借りながら、古くからわが国で行われてきた「自然循環農法」(有機栽培)が加われば、それは明らかに「貧」といえるのではないでしょうか。

そう、この地球上の「天地空」(宇宙の真理)を最大限に利用して自然循環させ、自らだけでなく他人の腹をも満たすことのできる職業が農業であり、これこそが自然の結晶(成果物)であるというだけでなく、他人を追い落とすことなく、また他人からは「清い姿」を連想させるような、人間の「究極のおしゃれ」な職業だと思っています。

そうは言っても、この現代に生きる者たちは文化文明に汚れ、「金こそ一番」と穢れきっていますので、物質的な富を追う者が大多数であり、清貧に生きようとする者は変わり者、異端児扱いされるような世相感漂うような今、プーチンの狂気から始まったウクライナ侵略戦争による「私利私欲」と「混沌の渦」」の中にある今こそ、そんな腐った血なまぐさい価値観の殻を破るときが来ているのです。

「心の貧乏」とは、物質的な富を追い求め、自分だけに利益をもたらせばそれで良いと思っている人の持っている「負のエネルギー」であって、その手の人々の生活は知らずのうちに天地空(宇宙の真理)と一切なじむことなく、遠くない将来必ず破綻するものです。

反対に「清貧の心」を持つ者たちには「正のエネルギー」を多く持ちますので、いつもお天道様が味方してくれるだけでなく、それぞれの小さな願いは叶えられることとなり、宇宙の真理のとおりに進むべき道を、生を終えるまで歩ませてくれるでしょう。

人間本来の生き方、進むべき道、美しい心を教えてくれるのが農業という職業なのです。

「石の上にも3年」、農業に携わってみませんか?

令和4年11月23日
【太陽と野菜の直売所】東浪見岡本農園
農園管理人:岡本 洋

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